午後9時過ぎ。送る会終了。2時間があっという間に過ぎた。
取材中の堀を待つべく会場の出口へ。
しばし時間を潰していると、庵野秀明さんの姿が見えたので挨拶に伺った。
パーティー等では無い為、簡単な挨拶と内緒のお話(笑)に留めた。
また別の場所でお会いするかもですが、その時はよろしくです。
堀が戻って来たので一緒に駅まで行こうとしたところ、
氷川竜介さんがいらしたので、大慌てで堀を紹介。ギリギリのタイミングだった。
今回の金田さんのつながりもあるので、今後の為にという事で。
「産経新聞のような一般誌で金田さんを取り上げてもらえたのは大きい」
と氷川さんに言って貰えたのは、自分の事のように嬉しかった。
そう。
金田さんのようなアニメーターはもっと取り上げられるべき存在なのだ。
「画が似てない」と自虐的に語られる事が多いけれど
それでも金田さんの画は、他のアニメーターから「直したくない」と言わしめるものだった。
それは、金田さんにしかできない「動き」が垣間見えたからではないだろうか?
アニメをお話やテーマ性のみで語る批評が散見されるが、
そもそもアニメというものは、画の動きを見せるものではないのか?
確かに脚本の出来の悪いものを見続けるのは辛いけれど、アニメーションの魅力って作画がまずありきだと思う。
最近ではちょっと絵柄が違うと「作画崩壊」だと言われる。
そういった風潮では、金田さんのようなアニメーターは今後生まれにくいかもしれない。
だからこそ、金田さんを取り上げた当時のアニメ雑誌の功績は大きいし、
今を生きる我々もまた、しっかりフォローしていかなくてはいけないのではないか。
自分にできる事は小さな事だけど、それでも、少しでも何とかしたかった。
だからこそ堀に芦田さんと氷川さんを紹介したのだ。
衆議院選挙の為会社に戻る堀と駅で別れて、会場に来ていた別の友人達と合流。
呑みながら「送る会」の事とか色々喋り捲った。
会については概ね好評だった。ただ、空席が結構目立っていたのが残念。
台風の影響で来れなかった人もいたのは事実だが、事前に枚数だけ抑えてしまう輩が多かったせいだろう。
枚数を確保してから配るのではなく、本当に来たい人に配るよう配慮すべきだったと思う。
個人的にはスタジオNO.1の松原京子さんとお会いできなかったのが残念。
あれからXX年。
りっぱなヲタになって戻ってきました←ヲォイ
2009年9月2日。産経新聞の朝刊をチェック。
堀が書いた「送る会」の様子が書かれていた。
【集う】「金田伊功を送る会」(8月30日、東京・杉並公会堂)
事前に彼と話したのだが、
文字数の関係で芦田さんと氷川さんの取材内容が載せられなかったようだ。
まあ今回は実を結ばなくても、どこかでまた繋がる事もあるだろう。
「送る会」で奥様は「次に続く人が出て欲しい」とおっしゃっていた。
自分は今のところ実写なので、金田作画のフォロワーにはなりえないけど
拙作「コズミックレイヤー」も微妙に影響受けてるなあと改めて実感した。
構図とか結構嘘ついてるのは
「気持ち良さ」を優先した金田作画の影響かもしれない。
人は信じていないものに
命をかけることはできない
本気の人には必ずチャンスが巡ってくる!
(金田さんの持っていたメモ帳より抜粋)
さようなら、金田さん。
あなたの自由な画は本当に魅力的でした。
自分も次に進みます。
とりあえずは絵コンテの再修正です。日曜日までに第3稿を上げたい。
単に金田パースのマネではなく、自分なりに消化したものを作るつもりです。
※画像は「送る会」終了後に配布された小冊子の表紙。