2009年8月30日日曜日

金田伊功を送る会 (1)

2009年8月1日。午前12時。


事前に「業界関係者で埋まるだろうから早めに申し込んだ方がいい」

との助言を受けていた私は、受付開始と同時に

「金田伊功を送る会」のHPをリロードし、申込フォームを表示した。

その判断は正しかった。


金田さんの功績の前には、千人を超える会場のキャパシティですら、わずか12分しか持たなかった。

後で聞いたのだが、事前に業界関係者からの申し込みが殺到し、一般受付分は200枚も無かったようだ。


その200枚にも満たない一般受付分も、事前に入手できなかった業界関係者が殺到したらしい。

また、豪華な発起人の一覧から単なるイベントとして勘違いする者も見受けられた。

「コスプレでの参加はご遠慮下さい」という注意があったという事は

信じたくはないのだが、その旨を問い合わせた輩がいたのだろう。


残念でならない。


私は漫画家の石の森章太郎さんの葬儀に参列した際の苦い記憶があった。

藤子・F・不二雄さんと比べて、ファンの参列があまりにも少なかったからだ

(だから私は平成ライダーから入ったニワカを冷ややかな目で見ている)。

だからこそ、せめて少しでもファンの数が増えればいい。

そんな思いもあって、私は今回の「送る会」に申し込んだ。


自分以外にも良識のあるファンの方は参加していると信じたい。

そもそも募集が少なかった事から、参加できなかったファンも大勢いるときく。

傲慢な物言いで申し訳ないが、ファン代表くらいの気持ちで参加するつもりだった。


金田さんは私にとっては「遺伝子レヴェル」の人である。

神とかそんなものではない。

正直最初はあまり好きではなかった。顔が似てなかったから。

当時から女の子がかわいい方が好きだったのよ(笑)。


いつからだろう。

金田さんのアニメートは、自分の中にいつの間にか刻まれていた。

特に「魔境伝説アクロバンチ」と「機甲創世記モスピーダ」のOPは魂に刻まれている。


実は私と金田さんとは面識は無い。

高校時代に金田さんに憧れてスタジオNO.1に見学に行ったのだが、あいにく金田さんは不在だった。

当時からお忙しい方で、その時は別のスタジオに行ってたらしい。

あの時は「送る会」の発起人の一人でもある、松原京子さんに色々教えてもらった。

頂いた「ブラレス3四郎」のサインは今でも大切に仕舞ってある。


2009年8月14日。

「宮崎監督が「頭(かしら)」と呼んだ男」という記事が産経新聞に掲載された。

執筆した堀晃和は、私と大学の同期で同じ映画サークルに所属していた仲間でもある。

この記事を読んでから彼に電話してみたら、「送る会」には取材で行くと言うので、

ならば久しぶりに会おうという事になった。


これも巡り合わせなのだろうか。


2009年8月25日。

「送る会」の入場券が届いた。

「金田伊功を送る会」入場券

※関係者用は赤ではなく緑


後は当日を待つばかり。

アニメ評論家の氷川竜介さんが当日流す映像の準備をしていると聞いたので

夏コミの同人誌の感想と併せて励ましのメッセを送る。自分は何もできないので、せめて応援だけでも、と。


※金田伊功を送る会(2)へ続く。